京都生まれ。現在3女の父親。趣味は熱帯魚(飼育歴30年?)。
大学生時代、寮の先輩が「生命の仕組みは美しい!」と二段ベッドの下で言い放った言葉が、今尚自分の研究の原動力になっているような気がする今日この頃。
私たちの研究室ではモデル生物として「キイロショウジョウバエ」を使用しています。 そのメリットのひとつは、何といっても飼育が簡単で比較的コストがかからない、という点です。他の昆虫と違い、ハエは幼虫も成虫も同じエサで済みますし、とても小さいので限られた空間での飼育が可能です。また10日間程度で成虫となり、卵をたくさん産みますので効率よく研究を進めることが出来ます。
また、ショウジョウバエの研究には既に100年にもおよぶ長い歴史があるんです。アメリカの生物学者、トーマス・ハント・モーガンが1910年、通常は赤い眼を持つショウジョウバエの中に白い眼のハエを発見し、この「白眼」のハエを足がかりに染色体遺伝子理論の研究を進め、後にノーベル賞を受賞しました。その後、遺伝学分野をリードしてきたショウジョウバエの研究は、発生学や様々な生命システムの仕組みを解明していく上で大きな役割を果たして来ました。その結果、このモーガンの研究以降、ショウジョウバエ研究者がこれまでに6人もノーベル医学・生理学賞を受賞しているんですよ。
一見哺乳類からはほど遠い感があるハエですが、実験でよく使われている「マウス」とその生物の仕組みが非常に似ている、ということが分かっています。つまり、ショウジョウバエで明らかになったことが、マウスや人間といった種を超えて医学の進歩にも大きく寄与してきた、と言えるのです。
エピゲノムの研究でもショウジョウバエは重要な役割を果たしてくれているんですよ。
子供の頃から生物が好きで自分でいろいろな生物を飼っていました。
研究者になりたい、と思ったのは高校生のときに「ソロモンの指輪」(コンラート・ローレンツ著)を読んだことがきっかけです。
しかし、大学生時代は尊敬する植物学の教授の下でキャベツを使って研究をしていました。
その後、動物の研究をしたいという子供の頃からの強い思いと、ショウジョウバエを使った行動遺伝学という研究分野に惹かれ、都立大学(現:首都大学東京)大学院でハエの研究を始めました。研究室には教授をはじめ、ショウジョウバエを愛する方々が多くいました。そういう環境にどっぷり浸かって研究しているうちに、私もショウジョウバエに心を奪われてしまったのかもしれませんね。
ショウジョウバエの研究では目的に合わせ、野生型や突然変異系統を掛け合せて、実験に必要な「ハエの系統」を作り出します。そうやって作成したハエたちを使って、個体レベルから細胞、分子レベルに至るまで様々な角度で解析をしていきます。特に遺伝子の機能がない突然変異体を手に入れることは、研究をする上でもとても大切です。必要な突然変異体がない場合は、実際に自分たちでその系統を作ることもありますよ。これはまるで「宝探し」をするかのような大変な作業でしたが、最近の目覚ましい技術進歩のおかげで、比較的簡単に作成出来るようになってきました。
私たちの研究室は、このハエ達を使って、クロマチン構造、エピゲノム状態に注目し解析を行っています。
たとえば、ヒトの場合DNAを一本に繋げて伸ばすと2m近くにもなりますが、そのDNAをコンパクトに収納するための「収納術」に当たるのが「クロマチン構造」と呼ばれるものです。
染色体の中には、このクロマチン構造がぎゅっと凝縮している場所と、ほどけている場所があります。凝縮している場所は「ヘテロクロマチン」と呼ばれ、ここにはあまり遺伝子が存在していません。一方「ユークロマチン」と呼ばれ、ほどけている場所では遺伝子は活発に働いています。これらのクロマチン構造は、その領域のエピゲノム状態が反映されていて、領域内にある遺伝子の発現にも影響しますので、研究の目印となる重要なものなのです。
通常ショウジョウバエの複眼は赤色をしていますが、眼が白い斑入り模様となるwm4と呼ばれる変異体系統では、赤い複眼を作るために必要なホワイト(white)遺伝子がヘテロクロマチンの近くにあります。(通常、white遺伝子はユークロマチン領域にある)。そのためwhite遺伝子はヘテロクロマチンの影響を強く受け発現が抑えられ、うまく赤眼になることが出来ないのです。
つまりこのwm4系統のハエを使い眼の色をチェックすることによって、エピゲノム状態を感度よく、また簡単に知ることが可能になるのです。
私たちは「ATF-2」と呼ばれる転写因子(遺伝子の調節領域に結合して発現をうながす働きをするタンパク質)を研究対象としています。このwm4系統のハエを使って、dATF-2(ショウジョウバエのATF-2)がヘテロクロマチンの形成に大変重要な働きをしていることを発見したことが、更にエピゲノム研究へとつながるきっかけとなりました。
dATF-2は、熱や浸透圧、感染、また精神的なストレスなど様々なストレスにより、リン酸化を受けるタンパク質です。そこで直感的にエピゲノムの状態はストレスによって変化するのではないか、そしてそこにdATF-2が関わっているのではないか、と閃きまして研究を続けました。
はい。そこで白眼のwm4系統を使って実験を繰り返し、ついに産卵から3時間以内のごく初期の卵に熱ストレスを与えると、成長後、成虫の複眼が赤くなるという現象を観察することに成功しました。
研究を始めた当初はなかなか結果が安定せず、 “何十万匹”という単位のハエにストレスを与えて…という作業をひたすら繰り返しました。
しかしながら何度やってもうまく行かずに万策尽きかけた頃、それまでは産卵から6時間までの卵を集めていたのですが、時間を3時間で区切ってみたところ、初めて顕著な違いを見出すことが出来ました。
「絶対ストレスとの関連がある筈だ、なければおかしいじゃないか」と思い続け実験を繰り返してはいたのですが、半ば諦めかけてもいたので、この結果が出たときにはやっと生きた心地がしました(笑)。
ショウジョウバエの場合、産卵後3時間まで、という時期はヘテロクロマチンの形成が起こる時期です。この時期がストレスに対して非常に感受性が高い時期だったからではないかと考えています。
更に興味深かったことに、実験を繰り返す中で、ストレスを与えることによって起こった赤眼の状態が、次の世代に遺伝したのです。
はい。一部例外を除き、これまでは精子と卵子から受精卵が作られる過程で「エピゲノム」はリセットされる、と考えられていました。特に、親のストレスによって変化したエピゲノム状態がDNAの変化無しに次世代の形質に影響を与える、と言う現象は、一見ラマルクの「獲得形質の遺伝」やルイセンコの学説等、生物界で否定されてきた概念と似た部分もあります。
ところが、この実験で熱ストレスをかけたオスとストレスをかけていないメスを交配し、子孫を追っていったところ、子供の代では若干の色素量が増加していることが判明しました。また、親と子供(オス)の2世代にそれぞれストレスをかけると、その影響はその後3世代に渡って遺伝することが分かったのです。
私達の研究は、動物では初めて「親世代で起きたエピゲノム変化の遺伝」を実証したケースとなり、この研究成果は2011年アメリカの科学雑誌「Cell」に掲載されました。
(理研プレスリリース http://www.riken.jp/pr/press/2011/20110624_2/)
最近ストレスは子孫に遺伝する、といった論文も出始めていますが、そのメカニズムは今もまだ分かっていません。dATF-2はそのストレスと遺伝のメカニズムの一端を担っているのではないか、と考えていますが、その仕組みを解明するのが現在のいちばんの目標です。これはきっと疾患対策にもつながっていくはずです。これまでは疫学的には様々な生活習慣が子孫の肥満、疾病などに影響を与えるといったことが報告されていたわけですが、今後は遺伝子レベルの話として、その仕組が解明されていくかもしれません。
また「生命体としてなぜそのようなシステムを持っているのか?」というテーマもあります。恐らくは「環境により『適応』させようとしているのではないか?」「生物進化など、生物学的に大きな意義がこの現象の中にはあるかもしれない?」と考えを巡らせています。
近い将来、こういった「DNAの変異を介さない遺伝現象のメカニズム」についてはいろいろと解明されて、「エピゲノム」も高校あたりで教わるのが当たり前のような時代が来るのかもしれませんね。